012669 ランダム
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Supica's room

Supica's room

白い部屋

気づいたら何も無かった。

空も、雲も、海も、風も、何も無い。

真っ白な地面。

真っ白な天井。

人もいない。

誰もいない。

壁は何も答えてくれない。

目の前の空気は薄い。

僕は動いた。

恐ろしくゆっくりと僕は立ち上がった。

そして、部屋の中央に扉が生まれた。

地獄の扉だ。

真っ黒な扉。

ノブも、木の板も、すべて黒い。

漆黒だ。

装飾は何も無い。

ただ、僕はそれが地獄の扉だと言うことはわかっていた。

僕はノブに手をかけた。

凄まじい風の音が鍵穴から聞こえてくる。

ノブを回した。

金属がこすれる音が聞こえる。

まるで叫び声かのように。

少しずつ扉は開いていく。

生暖かい風が僕を通り抜けていく。

開いた隙間から、大量の液体が流れ出てくる。

血でも、水でもない。

何かの液体だ。

扉が開かれていく。

僕はそれを止められない。

それは止められないことなんだ。

戦争で人を殺すのが大儀になるように。

核爆弾を入道雲が浮かぶ真っ青な空から、突き落とすかのように。

僕の心は揺らがない。

それは決められたことだし、決められていたことだ。

このとき、僕がこの扉を開くことは特別なことでもなんでもない。

それは初めから在って、終わりが来るときは終わるのだ。

先程流れ出ていた大量の液体は流れるのを止め、風は動くのをやめた。

まるで自らの存在を、後から来る恐ろしいモノから隠れるように。

そして、扉は開かれた。


そこには何も無かった。

また、ここと同じ真っ白な部屋が続く。

同じなんだ。

これが僕が生きることなのだ。

扉を開ける。

それが僕なんだ。

それだけが僕の存在であり、存在価値でもある。

僕にはブルジョワ的思考など存在しない。

だが、僕はここで扉を開き続ける。

誰のためでもない、自分のためでもない。

来るべき時のために僕は扉を開き続ける。

今まで僕は数え切れない数の扉を開いてきた。

気づくとそこにいる。

それだ。

繰り返しではない。

だが、僕は扉を開き続けてきた。


来るべき時のために。


それが今だったのだ。


「やあ。」


気づいたら何も無かった。


「僕はここでずっと君を待ってた。」


空も、雲も、海も、風も、何も無い。


「だが、君と僕を繋げるには相当な数の壁を越えなければならなかった」


真っ白な地面。


「本当に大変な数だった。鼠も食べつくした。」


真っ白な天井。


「時には壁を壊したよ。」


人もいない。


「他にも、君以外の人がこの世界に紛れ込むこともあった。」


壁は何も答えてくれない。


「その時は、消した。僕にとっては身を引き裂かれるようなことだった。」


目の前の空気は薄い。


「でも、ようやく君と繋がった。」


僕は動いた。


「いよいよ完全に君は僕と繋がる。」


恐ろしくゆっくりと僕は立ち上がった。


「お帰り。」


部屋の中央には、何かがいた。



「僕は、ジョンレノンだ。」


時計を額に埋め込まれた小太りの男はそう言った。



彼は小さな、木で作られた椅子に可愛らしくと座っていた。

黒い大きなコートを体を隠すかのように羽織り、頭にはつばの長い黒いハットを被っている。

「やぁ。」

帽子とコートの間から見え隠れする口が動く。

「ジョンレノン」

「僕はジョンレノンだ。」

彼は動きもせずそう言う。

僕は言う。

「ジョンレノンには到底見えない。
僕の知ってるジョンレノンはもっとスマートで、黒めがねをかけて、髪はボザボザで、それでいてオノヨーコとなんかと結婚してる不思議な男だ。
君も不思議なところは変わりは無いけど」

「君がなんと言おうが、僕はジョンレノンだ。
そこに意味なんか無いよ。
君が言うかのような概念も僕には存在しない。
僕はジョンレノンでしかないんだ。
君はこれまで扉を開き続けただろう。
それと同じさ。
僕はこれまでもジョンレノンであり、これからもジョンレノンなんだ。」

カチ、カチ、と彼の額の時計の秒打つ音が部屋に響いている。

「わかった。
僕は君をジョンレノンと認めるよ。
君は存在した瞬間からジョンレノンなんだ。
僕がどんな概念を持っていたとしても君はジョンレノンでしかない。
そこに、いくら反論を並べたからといって君を否定することは出来ない。
キリストだろうが、神だろうが、君を否定できない。
それはキリストや神を否定できないのと同じように。
そういうことだろう。」

彼はうなずいた。

帽子が少しずれたのか、手を頭に乗せなおした。

「君は物分りが早いね。
存在と言うものをかなり理解している。
ドーナッツでも食べるかい。
それともクッキーが良い。
どちらもカリッと焼けていて、中はしっとりしているよ。


そう言い終わると、恐ろしく長い手がコートから抜き出てきた。

彼は中央にいるが、四方の壁に余裕で手が届くほどの長さだ。

右手にはドーナッツ、左手にはクッキーの束が握られていた。

「どっちが良い。
選びな。
どちらもこの世とは思えない味だよ。」

コートからもう一本手が出てきて―その手にはクッキーが握られている―口に運ばれていった。

「悪いけど、クッキーもドーナッツも今はいらない。」

バリバリとクッキーを食べる音が聞こえる。

「そうか。
それはしょうがないね。」

三本の腕は一瞬にしてコートの中に吸い込まれていった。

「本題を話そうか。」

時計の音が止んだ。

「どうしたんだい。」

と、僕は聞いた。

「時間を止めたんだ。
これから話す事は、時間が必要ないから。
そして此岸では話せないことなんだ。」

「此岸。」

「この世のことさ。
僕ら今まで此岸に存在してきた。
君は扉を開き続けてきたし、僕はここで君をずっと待っていた。
狭間に迷い込むものはいたけど、恐ろしく低い確率でしかありえなかった。
君はもう気づいているけど、ここには扉が無い。
これがどんな意味かわかるかい。 」

彼の顔はコートの中に埋もれて行く。

僕はその意味はわかっていた。

来るべき時にだけ存在する理由だ。

「そう、君に存在理由がなくなったんだ。」

そう言うと、彼の口元が緩んだ。




存在理由。

単純に言えば、それは、そこに物(もしくは何か)が在る、ということだ。

「それ」が生まれる前には「それ」は無いし、「それ」が死ぬ(もしくは消える)と、「それ」は無くなる。

生と死の間には過程が在り、生と死の前後に存在は無い。

確かに、物質としては存在するだろう。

だが、そこから生み出される思考や、想像は無から生み出される有だ。

その法則は宇宙に存在するが、法則を組み立てる思考は物質には出来ない。

それが、物質と生物の差だ。

学校の授業で習うだろうが、物質の最小は原子ではない。

呼称で呼ぶのなら原子であるが、それより先はまだ無限に在る。

そしてこの宇宙は膨張宇宙。

無限に広がり続けるが、限度と言う境界線も確かに持つ。

例えるなら、ゴム風船だ。

パラレルワールドに存在するもう一人の自分。

現実に存在するのだ。

この宇宙のビックバンと同じ時間のビックバンの宇宙が存在すれば、在り得ることだ。

そうすると「存在」というものがあやふやになってくる。

この時間より先に位置するパラレルワールドが存在するのならば、我々の行動はもう決まっていることになってしまう。

それは運命と呼べるのかもしれない。

決まっている時間なのだ。

もし、10分先のパラレルワールドがあるのならば、我々は10分先のパラレルワールドと同じ行動を10分後にする。

自分は「ひとつ」だけだと思っていることが、3次元世界に「時間」が存在することによって、無限の自分が存在してしまう。

四次元とは、それがすべて含まれた世界。

無数に無限が広がる。

無数と言ったら数えられてしまうから、無限が無限に同時に存在すること。

そう。

そこを理解できたら、この世界で僕らが存在する意味を考える事自体が、意味の無いことだと分かる。

ただ、僕は今「例外」を見ている。

極めて稀な「例外」だ。


「君は普通の人間じゃない。」

ジョンレノンは口を開く。

「君ほど存在を理解しているものはいないのに、それはとても悲しいことじゃないか。」

彼は話し続ける。

「存在理由が無くなった。
どういう意味か分かるかい。」

僕は溜息を思い切り吐いた。

僕は口を開かない。

彼も口を開かない。

沈黙がこの部屋を支配する。

僕の機関としての穴から入り込み、体全体をなめ尽くすかのように支配する。

一体どれだけの時間が経ったか分からない。

もしかしたら、光のごとく一瞬のことだったのかもしれない。

もしかしたら、宇宙が始まってから現在までの長さだったのかもしれない。

しかし、ここには時間が無い。

彼の額の時計が止まってから僕はひとつだけなんだ。

そして、僕は口を開いた。

「今の僕だけが「存在」なのか。」

僕がそう言うと、ジョンレノンはピクリと何かを感じた。

「その通り。
君は今「ひとつ」だ。
パラレルワールドにも、時間の中にも存在しない。
完璧な「存在」
いままで誰もなしえなかった存在なんだよ。」

彼は口を耳元まで押し上げ、笑った。

「例えば。」

また、あの長い腕が出てきた。

マジシャンのように、パチン、と指を鳴らす。

彼の隣に若い女性が、とても綺麗で雪のように白くて華奢で気立てが良くて黒く長い髪はすべてを飲み込むほどに美しくきらめいている。

そんな現実にはありえそうにも無い女性が居た。

表情は無い。

「時間というのはこういうことだ。」

彼の腕は風を切る音を残し、彼女の胸元にえぐり込まれた。

恐ろしい量の血が噴き出す。

口からは、血と混じりあった液体が溢れでる。

叫び声もあげず、彼女は静かに倒れた。

その倒れ方でさえも、息を呑むほどに美しかった。

両腕は、脈を打つように痙攣している。

「これが死だ。」

彼女の胸にえぐり込まれたジョンレノンの腕はそのまま脳までドリルのように進み、脳に達した。

「死んだ。
彼女は何処にでも居るような女じゃない。
この世では絶世の美女と謳われるほどに素晴らしい女だった。
後にも先にも彼女のような女は生まれない。
そんな女だ。」

悲しむように自分の手を眺めている。

その手には彼女の脳髄がこびりついていた。

そしてこちらを向くと、また耳元まで口を押し上げ笑った。

「悲しいか。
そんなことは無いのに。
彼女が死ぬ必要なんて何処にも無かった。
だが、彼女は死んだ。
必要という意味など無い。
私が殺したいから殺したのだ。」

パチン、とまた彼は指を鳴らした。

また同じ現象が起きた。

彼の側らに、先程美しく死んでいった女が居た。

表情は無い。

「さっきの女の1分前の女だ。」

いつの間にか彼の額の時計は一分戻っていた。

「まぁ、一分待とう。」

またあの光景見せられるのだ。

我慢できない。

僕の頭は狂いそうになる。

「もう、分かった。
というより分かってる。」

僕は彼に言った。

「その女はメタファーだろう。
君が何を言おうとしているかは僕には分かる。
そろそろ説明してくれないか。
僕はこれからどうすればいいんだ。」

彼は静かに僕を見下ろしながら答える。

「一・分・待・て」

果てしない一分が経過した。

その間に僕は滝のように汗をかき、着ていた服はびしょ濡れになった。

彼の時計は一メモリ進み、彼の長い腕は彼女の胸にえぐり込んだ。

そして、一分前と同じ事が再現された。

全く同じに。

やはり倒れ方も美しかった。

そして儚く死んでいった。

「一分の世界はどうだった。
長かっただろう。
君には今まで時間というものは無かった。
一分の間にも秒単位で数えれば60人のこの女が存在し、さらにそれを・・・。」

「もう分かった。
次この女について話したら僕は君を殺す。」

彼の言葉をさえぎるように僕は言った。

彼は話すのをやめた。

そして、口を開いた。

「では、いよいよだ。
説明しよう。
君の存在意義について。
そして、今後君が取る行動について。」


彼の手には、まだ、女の脳髄がついていた。

夜。

見たものを全て落胆させるような、古く、錆びれたアパートの一番奥の部屋に僕は居た。

「原宿第一アパート」

山手線が駅に入ってくるときの音が窓を越えて僕の耳に届いく。

開け放した窓からは夏夜の風が静かに入り込む。

部屋の中は暗いが、空は青い。

とてつもなくダークブルーな空。

その青さには不気味ささえ漂う。

古代の人がこの空を見たのならば、恐怖によっておののめくだろう

空とは打って変わり、町は賑やかに色づいている。

ざわざわとした人が集まると出来る声の集合体。

薄手の服を着て町を歩く若者たち。

最高に楽しいのだろうか。

少なくとも楽しいことには変わりない。

しかし、僕は部屋に居た。

僕は畳の上で仰向けになって寝ていた。

何をするわけでもなく僕はここに存在していた。

あても無く天井のシミを数え、模様を目でおい、それに飽きたら目を閉じた。

町の声は華やかで、それは僕の部屋を寂しくさせる。

部屋の隅にあるダイヤル式のテレビを点ける。

何も写らない。

当たり前だ。

アンテナに繋げていないんだから。

ただ僕が捨ててあったのを拾ってきたもの。

それをゴミ捨て場で目にしたときに、僕はそれがメッセージのように受け取れた。

僕はそれを部屋に持ち帰り、今電源を入れている。

虚空の真っ黒な画面には僕の顔しか映らない。

カーテンが揺れる。

風が入ってくる。

そして、歌も入ってくる。


サザンオールスターズの「真夏の果実」


懐かしくもあり、それで居て古くならない不思議な歌。

今は夏なのだ。

桑田佳祐の、音程によって変わらないハスキーで渋い歌声は、確かに夏を連想させる。

彼は今何をしているのだろうか。

相変わらず洋楽、して言えばエリッククラプトンでも聴いているのだろうか。

それも、聴くのはジャケットつきのレコードだ。

コーラを片手にジャケットとレコードを見比べながら聴いているのだろうか。

まぁいい、僕には関係ない。

また仰向けになる。

やることは一つだけだ。

時を待つしかない。

その時がくれば、僕が急ごうが何をしようが、それは起こるのだ。

玄関と六畳一間のこの部屋に居たとしてもそれは起こる。

だから体力を極力使わないようにする。

寝よう。

そして「真夏の果実」を静かに聴こう。


























見事に夏の寂しさを表している。

見事だ。

僕の気持ちを和らいでくれる。

あと、数分でこんな安らぎは吹き飛ぶだろう。

だが、これは僕にとって意味のある歌だ。

とても気持ちがいい。

山手線の駅のホームに入るときの音が聞こえてくる。

女にでも電話しようか。

何の意味も無いく、楽しい話をとりとめもなく話し、お互いに触れることなく、お互いを傷つかせること無くただ電話をするだけだ。

彼女が誰と付き合おうが、何に憧れていようが僕には関係ない。

要は話すことなんだ。

ただ話し、そして切る。

相手の迷惑も考えず、電話をかけ続け、話したいことだけ話したら、後は相手の話に適当に対応して切ればいい。

それだけの機械だ。

実に能率的で効率的で人間的で。

僕は女なんて知らない。

知り合いさえ居ない。

だから取り敢えず自分の好きな数字を押してかかった番号が女だったら話せばいい。

もちろん男でもいい。

ただ、男は持論を話したがるやつが多いから、意味の無い話が出来る女のほうがいいのだ。

それだけの理由さ。

なんて言って電話をかけようか。

「夜分遅くにすいません。唐突ですが、僕と意味の無い話を、とりとめも無く話してみませんか。」

だめだ。

どこかの宗教法人に間違えられて終わりだ。

「僕は今無性に女の人と話したいんです。どうでしょうか、話してみませんか。」

キャッチだこれは。

だめだ、僕にはちょうどいい台詞が浮かばない。

村上春樹の本の主人公ならそんなもの朝飯前に考えてしまうだろう。

彼らは理性と知性に満ち溢れ、それでいて感性を持て余すほど持っているのだから。

だが、僕には浮かばないんだからしょうがない。

部屋の中央に置かれた電話を僕はにらみつける。

黒いダイヤル式の電話。

ローカルでマニュアル的な部屋だ。

そんな部屋の黒い電話がけたたましく鳴ったのは、それから数分後のことだった。


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